猫でもわかる全訳『孫子の兵法書』#1 そもそも『孫子の兵法書』ってなに?

2020年6月10日孫子の兵法書

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べつのサイトで書いていた「全訳『孫子の兵法書』」ですが、本ブログでやったほうが中国つながりということで、場所として適切なのではないかと思い立ち、記事を移転することにしました。

「全訳」はどういう意味なのニャ?

「全訳」の意味ですが、「最初から最後まで読んでいく」ということです。

内容を部分的に取り出すのではなく、一度通して全部の内容を知っていくほうが役に立つとは思います。

ただ「完訳」ではなく「全訳」なので、内容を網羅しつつもわかりやすい形で記事にしていきます。

難しくなければ良いニャ。

今回は初回ということで、そもそも『孫子の兵法書』がなんなのかについて、わかりやすくお届けします。三国志とは深いかかわりがあります。

 

「孫子の兵法書」とは?

「孫子」と呼ばれる人物は2人います。

春秋時代の孫武(そんぶ)と、その子孫である戦国時代の孫臏(そんぴん)です。

この両者のどちらが兵法書『孫子』を書いたかについてですが、一時期は「孫臏説」が有力でした。

さらには、世間に広く流布している『孫子』は、曹操がまとめあげて編集した『魏武注孫子』です。「魏の武帝(曹操)が注をつけた孫子」という意味ですね。

みんなが読んでいる『孫子』は、曹操が書いたものになるのニャ。

そのため、そもそも『孫子』は、じつのところ曹操が捏造したものではないかという説まで出てくる始末でした。

曹操の信用のなさがすごいニャ。

ところが1972年に、山東省銀雀山の墓から竹簡による『孫子』の写本(『竹簡孫子』)や『孫臏兵法』が発見されました。

前漢時代の墓なので、曹操の生きていた後漢時代よりも前です。

曹操の捏造の疑いは晴れたのニャ。

さらには、孫臏の兵法が『孫子』とはべつに存在していたことから、『孫子』は孫武の著書ということがほぼ確定しました。

孫臏は孫臏でべつに兵法書があったのニャ。

ただじっさいのところ、孫武ひとりで書きあげたとは考えにくく、孫武の書いたものがどんどん加筆・修正されていき、現在の形になったと考えるほうが自然でしょう。

三国演義』もおなじニャ。ひとりの作者が一から作ったものとは考えにくいニャ。

曹操の書いた『魏武注孫子』ですが、この書も時代とともに加筆・修正されています。

 

『孫子』の内容

『孫子』には以下の13篇があります。簡単に説明すると以下のようになります。

1、計篇 :戦争とはなにかについてなど。

2、作戦篇 :戦争のコストと準備について。

3、謀攻篇 : 戦わずに勝つ方法。

4、形篇:攻めと守りについて。

5、勢篇:軍の勢いについて。

6、虚実篇:戦争における虚実について。

7、軍争篇:敵を制する方法について。

8、九変篇 : 戦局の変化に対応する9つの方法。

9、行軍篇:進軍時の注意点について。

10、地形篇:戦場の地形について。

11、九地篇:9つの地勢について。

12、火攻篇:火攻めについて。

13、用間篇:間者(スパイ)について。

いろいろあるニャ。「戦わずに勝つ」は孫子兵法の基本ニャ。

戦争したらお金がかかりますし、人は死にますしで、いいことはなにもありませんしね。戦争をせずに目的を達成できるのが一番です。それが最上の策ですね。

 

まとめ

つまり、さっきの13篇を読んでいくという企画なのニャ?

そういうことになりますね。

ただ1篇の内容が長くなる場合は、何回かに分けるかもしれません。状況を見ながら調整していきます。わかりやすく読める形にはしたいと思っています。また三国志とも内容を絡めていきます。

次回は最初の「計篇」です。「戦争とはなにか」についてです。